「いやぁ〜、街へ行きたいッスねぇ〜」

街からは程遠い場所に収容されているのに、まるで明日の予定に組み込まれたんだと言わんばかりの能天気さでウェンディは寝ころびながら独り言を呟く。
彼女は施設の外に存在する唯一の憩いの場で潮の香りを楽しんでいた。
彼女は誰も来ないこの場所を、一人だけの秘密基地だと思って気に入っている。

「ふふっ。
 お気に入りがお気に入りになって、更にお気に入りになったらどうなるんスかねぇ〜。
 言葉にならないくらいのお気に入りになってずっと此処に居たくなっちゃうかもしれないッスねぇ〜」

下らない事だと思いながらも、彼女はうきうきした口調でニヤリと笑う。
いつもテンションが高い彼女は誰かと一緒にいる事が当たり前となのだが、この場所には誰も居ない。
勿論、監視カメラを覗いている監視員くらいは彼女を見ているはずだが、カメラに話しかけた所で話相手にはなってはくれないだろう。
その為、彼女は此処に来た時はいつも一人で下らない事を考える事にしていた。
これも成長したのかなと彼女は一人で結論付ける。
が、すぐにその結論も下らない事だと気づいて彼女は自嘲した。
別に成長ではないのだ。
いつの間にか勝手に外へ遊びに行ってしまう悪餓鬼の性分を持ち合わせただけに過ぎない。

「此処に居ると気分が落ち着くッスねぇ〜。
 嫌な事も良い事も全て吹き飛んじゃうッスよ。
 まあ、ここに不満なんて無いんスけどね。」

心の底から余暇を楽しむかのように漏れた言葉は、彼女の心境を如実に表していた。
心地よい海の風がふっとウェンディの体を撫でていくたびに、彼女は気持ちよさそうに体を伸ばす。
この場所は誰も誰も来ない分、最低限の節度さえわきまえていれば何をしても怒られないし正座もさせられない。
常日頃から姉や妹へのうっかりした対応でたびたび冷たい反応を貰う彼女にとってはのびのびと出来る場所でもある。
無論、その冷たい反応も悪意の無い心地の良い物だ。
いつも誰かとつるんでいると言われる位、彼女にとっては誰かと一緒に居る事は当たり前であり、楽しい事だが彼女とて一人になりたい時はある。
その条件を考えると、彼女にとってこの場所はまさに立地条件最高な上に都合の良い秘密基地なのだ。

「街は海の彼方にあるとギンガは言ってたけど、此処からでも目を凝らしたら見えるかな?
 見えたらいいッスねぇ〜」

彼女は今日の更生プログラムでナカジマ親子から教えられた内容を思い出した。
ただ、内容は至って簡単なものに過ぎず、普通に生きてきた人間ならばいまさら教えられる必要もない程の物であったが、特殊な生まれ方をして普通に育つ事を許されなかっ た彼女にとっては夢のような話である。
勿論、彼女の姉妹たちも往々にして同じような反応であった。
その時の状況を思い出していると我慢する事が出来なくなったのか、ついに彼女はこっそりと自らの力を使う。
ウェンディは人の体に機械を融合させた強化人間であり、戦闘機人と呼ばれていた。
彼女の姉妹も全てが戦闘機人であり、殆どがこの施設に住んでいるが一人だけ外で働いている。
戦闘機人の力は常人のそれを遥かに超えており、魔法は使えないが魔法と同等ないしそれ以上の力を行使する事が出来るのだ。
彼女はその力を使い、視力を強化して水平線上を眺める。
日頃ならば収容所から眺める事が出来る小さな島の全景を眺める事が出来るだけだが、今の彼女にはその島の海岸線に停泊している船の数を数えられる程であった。
しかし、彼女の力をもってしても街を見つける事は出来ない。

「まあ、しょうがないッスよねぇ〜。
 あたし等は遊びに来たんじゃないッスから」

彼女はつまらなそうに口を尖らせながら仰向けにごろんと寝転んだ。
街を眺められない悔しさも、今度は別の何かに対する好奇心ですぐにかき消されたのか、悪戯っぽく笑っていた。

「宇宙も良いッスよねぇ〜。
 宇宙船アーライだったッスかねぇ。
 あれはカッコよかったッスよ」
「宇宙戦艦アースラだぞ。
 カッコ良いのならきっちり覚えていなければな」

にししと思い出し笑いをしているウェンディの頭上から、いつも自分よりも他人を気遣う優しい声が聞こえてきた。
ウェンディには聞きなれた親しい声である。

「あれ?
 チンク姉、何で此処に来てるんスか?」

ウェンディは疑問を投げかけながら、がばっと跳ね起きてチンクと呼ばれた少女の隣に立つ。
彼女なりの姉に対する最低限の礼儀なのだろう。

「ゲンヤ殿とギンガから重要な話があるので皆を集めて欲しいと言われたのだ。
 お前の事だから此処に居ると踏んだのだが、間違いではなかったようだな」

不思議そうに聞いたウェンディに、当然だと言わんばかり胸を張りながらチンクは答えを述べた。
チンクもウェンディと同じく戦闘機人であり、彼女の姉だ。
ウェンディは濃いピンクのような髪を後ろで纏め上げており、スタイルの良い女の子だ。
しかしチンクは、髪を長く伸ばした銀色のロングヘアーであり、見た目は中学生に見間違われそうな、良く言えば成長過程の体つきの為にウェンディの前に立つと対照的に見 えてしまう。
幸か不幸か、姉であるチンクが妹であるウェンディよりもスタイルが芳しくないのだ。
チンク自身もその事を非常に気にかけているが、妹達にはその事を指摘する意地の悪い子は居なかった。

「あまり潮風に当たっていては肌にも髪にも良くないぞ。
 美容は女の武器と言うからな。」

「大丈夫ッスよ。
 此処に来た後はきっちり塩を落としてるッス。」

胸をどんと叩きながら言ったウェンディにセインは、

「そうか」

と満足そうに呟いた。
ウェンディもまんざらでもなさそうな表情で頷いた。
チンクは納得したのか、ウェンディの近くに立って彼女の髪を撫でた。
他の人ならば嫌味や忠告に聞こえてしまうが、彼女が言う言葉には不思議と不快感は無かった。
それどころか母に気遣われたかのような、暖かさすら感じてしまうほどである。
だからウェンディはこっそりと腰を屈めながら照れくさそうに頬を掻いたが、されるがままに頭を撫でられた。

「えへへ、何か恥ずかしいっすね。
 でも嬉しいッス」

ウェンディにとってチンクは尊敬する姉であり、優しき母であり、頼りになる上司でもあった。
何もかも投げ出してしまえばチンクは文句も言わず嫌な顔一つせずに全てを背負ってくれるだろう。
勿論、彼女の妹達はそのような無責任な事をするつもりはない。
その安心感があるからこそ出来る何かがあるという話である。

「そういえばチンク姉。
 ゲンヤとギンガが呼んでたのって何々スかね?」
「私も詳しい事は聞かされていない。
 何やらサプライズな出来事らしいが、時間はまだ少しある。
 ゆっくりしたいのなら少しくらいは此処に居てもいいぞ」
「やった。」

指をパチンと鳴らして嬉しさを表現しつつ、そのままどかっと座り込むウェンディ。
ふんふんと鼻歌を歌っている所を見ると、このまま時間ぎりぎりまでこの場所に居残るつもりのようだ。
その様子を見てチンクも、妹の気まぐれに付き合うつもりなのかウェンディの隣にゆっくりと座る。

「あれ?
 チンク姉もいるんスか?」

そのチンクの行動に驚くウェンディだが、チンクは特に気にしていないようである。
それどころか、全身を撫でる気持ちいい潮風に身を任せているようだ。

「たまには別の場所から外を眺めるて見たくなるものだ。
 それとも、私が居ては何か不都合があるのか?」
「いや〜、そういう訳じゃないんスけどね〜。
 でも、皆この場所には意識して近寄らなかったじゃないッスか」

チンクもあえてこの場所に来ないという事を、ウェンディの相方であるセインから聞いた事がある。
セインですら、ウェンディに用事も無ければ此処に来ないのだから。

「たまには秘密基地を共有したいと思う時もあるのだよ。
 それに、私も青い空と海は好きだ」

チンクはそう言うと、空に向けてううーんと全身を伸ばすように腰を伸ばしている。
ウェンディには無理をしているようには見えなかった。

「そう言えば今日ゲンヤが街の話してたじゃないッスかー。
あたしらも街に行けるようにチンク姉からも頼んでくれない?」

まるで仏様を拝むようにばちっと両手を合わせて頼み込むウェンディは、まるで明日の天気を話すかのような自然な言葉でチンクに頼んだ。
妹の無茶な頼みにチンクは少し思案したが、

「それは、まだ分からないな」

結局は保留する事にした。

「ちぇー」

ウェンディは悔しそうな口調ではあったが、顔はにやけていた。
その嬉しそうな表情につられて、チンクも楽しくなったのか笑っていた。

「まあいいッスよ〜。
 いつかいけるようになればそれで充分ッス。」

「そうなる事に期待したいな。」

とても朗らかに語るウェンディに、あまり良い事ではないがたまには集合に遅れて行こうかなとチンクは思った。


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